野生の誤読

翻訳・drama・読書

いご草ちゃんと『最後の決闘裁判』

10月、リドリー・スコット監督『最後の決闘裁判』を観ました。

直接的な性暴力描写があるため、フラッシュバックなど引き起こす可能性があるし、万人に勧められはしないのだけれど、ものすごく考えでのある作品だった。14世紀に実際にあった決闘裁判を下敷きにしていて、騎士の妻が夫の友人に強姦されたと告発したことをきっかけに起こった事件の真相をめぐる物語。

第1幕は男らしく誇り高い騎士カルージュの視点、第2幕はその戦友で暴行した騎士(美男)ル・グリの視点、そして第3幕が被害にあったカルージュ夫人マルグリットの視点であり、これは他と異なり「真実」という字幕付きで描かれている。これは三者三様の視点があるよねとうやむやにするのでない形で当時女性の置かれた(そして今も置かれている)厳しい現状を明らかにするものだ。

 

作品自体に関してはライムスター宇多丸の『アフター6ジャンクション』「週刊映画時評ムービーウォッチメンhttps://www.tbsradio.jp/articles/46134/ に詳しいので書き起こしや音声を参照してほしいのだけど、私もこれは基本的にマジョリティであるシスヘテロ男性に向けて作られていると思った。無自覚な女性差別や家父長制の下でどういうふうに女性が扱われているか、あなた方の認知はこれくらい歪んでいるよと、女性からすればもうわかってるからやめてっていうくらい、それはもう懇切丁寧に描いている。

夫やル・グリ目線ではそこそこ幸せそうに見えるマルグリットだが、第3幕で描かれた「真実」では、彼女は全く幸せではなく、夫との生活でも様々な苦痛に耐えていたことが明かされる。MeToo運動団体やインティマシーコーディネータが監修に入り、第3幕は女性脚本家が執筆するなど、個人的には辛いけれどもある程度安心して観ることができる作品だった。精神的に可能な人はぜひ観てみてほしい。粗野なマットデイモンはナチュラルに最悪だし、美男呼びされてる認知の歪んだアダムドライバーは最低、そして「あんた誰?」ってなる金髪でシュッとしたベンアフとの絡みはかなりいい。エロい。ジョディ・カマーは素晴らしくて今後すごく出てくるのだろうな、「フリーガイ」もよかったし…

 

さて、夫の所有物として、面目を保つための道具として、決闘裁判に巻き込まれていくマルグリットのことをしばらく考えるうちに(今私の脳がゴールデンカムイに占められているので)、「いご草ちゃん」のことに思い当たった。

単行本未収録の話をします。(12月14日発売予定の28巻に載るよ!)

いご草ちゃん。春見ちよさん。月島軍曹がかつて駆け落ちの約束をした女性。ノラ坊が見合いした三菱財閥重役の娘であるカエコ嬢が、「いとこの兄さまは器量だけで選んで幸せそうにしてる」と言ってる(手元にないので大意)コマで、その結婚相手はいご草ちゃんであることが示唆されている。でもさ、幸せそうにしてるのはそのいとこの兄さまだし、幸せそうだと思ってるのはカエコ嬢であって、いご草ちゃんが幸せなのかどうかは現時点でわからないわけです。そこに春見ちよという主体は存在しない。これは決闘裁判の第2幕までと同じだなあと思って。

月島はあの子と生きられなかったことだけを心残りに思ってるはずだし、彼自身が彼女の生死を知るかどうかわからないけど、もし生きてるなら幸せでいてほしいはず。でも彼女が幸せかどうかはきっと月島にも、読者にもわからない。例えば梅ちゃんは主人公スギモトのかつての思い人であって、彼女視点のパートがギリ描かれてるけど、いご草ちゃん目線で彼女の気持ちが描かれる可能性はかなり低いだろうなあと。彼女目線で、主体的に描かれない限り、本当に彼女が幸せかどうかなんて誰にも分からない。100年ほど前の日本で、地方から財閥に突然嫁ぐことになり都会に出て、器量がいいと見染めた夫と一緒になって(ルッキズムだし所有物かよだよね)、後継ぎとしては男児を望まれ、子供ができなくても女児を生んでも色々言われたり、周りの女性には器量がいいだけの田舎者がと妬まれたりしたかもしれないし、…何より自分の愛した月島基という男がもうこの世にいないのだと信じているわけじゃないですか。いや、本当の本当に彼女が幸せに生きていてくれるならそれで素晴らしいのだけれど。それはきっと永遠にわからないから。これは妄想です。

カムイの序盤でよく出てきた「女は恐ろしい…」っていうのもなんかすごく思考が止まっているではないですか、女性というものに対して。女性のことを対等に思っているのかそれは?と思ってしまうところがあるのですよね。長谷川さんの妻子だってそうだし。同じ立場に立って話そうよって思ってしまうのだよな。ボーイズクラブでひそひそ話すのはやめてくれよ。まあ月島にはエンパシーを期待していますけどね、私は。

いや、いいんですよ。それでもゴールデンカムイは最高に面白い。アイヌ文化、GAG、グルメ、歴史、そして男同士の巨大感情を描く物語だってもうわかってるし、私はそれを期待しているし、いご草ちゃんのことまで詳細に描いてほしいとは言わない。それでも月島基の愛した春見ちよというひとが見ていた明治末期はいったいどんなふうで、はじめちゃんはもういないんだと信じて生きているこの世は、彼女の目にいったいどんな風に映っていたのだろうと、約100年あとを生きている私はぼんやり考えるだけで。

佐渡よりいい風が吹いていたでしょうか、東京には。
ひとりの女性として、人間として、しっかり生きられたのでしょうか。

マイク・フラナガン監督『The Haunting of Hill House』ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス(2018)

同監督の『Midnight Mass』真夜中のミサが哲学的で良かったので、遡って観た。

全10話。本作はシャーリイ・ジャクスン原作だが現代版に翻案するにあたって物語は大きく改変されている模様。

屋敷を改装しては高く売ることを生業としていた夫妻と、その5人の子らは古い洋館ヒルハウスでひと夏を過ごすことになる。美しい外見とは裏腹に怪異の多発する屋敷、進まない改装、少しずつ精神を蝕まれる妻、そこに悲劇が起こる。約25年後、きょうだい達は再び壊れた家族と向き合うことになり、ヒルハウスへと舞い戻る。

とてもよくできていたし面白かったが、精神的につらいものがあり、万人にはお勧めできない。自死遺族の方にもあまり。

屋敷自体がいつから狂気を帯びているのかはわからないが、子供を幽玄の世界に止めおきたい親そのもののような印象もある。外の世界には恐ろしいことや苦痛、心配事がたくさんあり、それに身をさらすよりはむしろ、命を絶つことにより人生を終わらせることが夢(=恐ろしい現実)から覚めることであって、幸せなままの次元に生まれなおすこと、この屋敷で永遠に美しい子供時代の姿のままに存在し続けることを誘う。

壁の内側に留めて外に出させない、守ってやろうとする作用そのもの、その力の権化みたいな、家の姿をした怪物。

怪物が見せるのは願望であり、後悔したことであり、やましい感情であり、痛みであり、そして恐怖である。そういったもので目を曇らせ、幻惑し、過去や乗り越えられない思い、物事の核心から目を背けさせる。

それは家父長制という怪物と呼べるかもしれない。その長年にわたって積もった怨念に、妻であり母であったオリヴィアは絡め取られてしまったのかもしれない。

彼女は本来聡明な女性で、ビジネスパートナーとして夫と対等な関係を築いていたはずである。ep9の最後、彼女が屋敷の餌食になった後に回想シーンが入る。ヒルハウスに足を踏み入れた最初の日、はしゃいで自室へ我先に駆け出す子供たちを見て、オリヴィアは夫に言う。

"You guys go on without me."(私なしで大丈夫よ)

夫・ヒューはあきれるように"How could we?"(まさか)

このときのオリヴィアの服装はキャミソールにショートパンツで、それまでのシーンで着ていた引きずるようなドレスではない。活動的で、自立した、外へ出ていく女性の恰好だ。

本来彼女は自分なしでも子供たちは元気にやっていける、自分の人生を歩んでいけると知っていたと思う。ルークを墓に引きずり込もうとしたり、葬儀場で「永遠の家」を壊したオリヴィアは恐らくは彼女自身でなく、家の化身であるといえるだろう。もちろんネルをあんな姿にしたのもオリヴィアではない。

家父長制が多くの家族を引き裂いたり壊してきたことは紛れもない事実だと思う。対等な関係を築けなくさせ、外に出て活躍する機会を奪う。

父はそれを「修復」しようとした。彼は彼で家父長制から自由ではなかったけれど、最後にヒルハウスと戦うことで、子供たちを生かす道を見つけたので、役目を果たしたといえるのかも。何をもって修復というのだろう。本当は、あの家をぶち壊さなければならないのだから。

ネルは命を失ったが、きょうだいの目を覚ましてくれた。現実と向き合って生きなおすことを彼らに与えた。それでも彼女が死ぬ必要は本当にあったか。

最後、彼女と父母は幸せそうな姿にも見えたが、それもきょうだいの願望かもしれない。

あのような形で死ぬことが幸せであるとは私には思えない。でも今まで家父長制のお化けと闘って露と消えたひとびとがいて、私たちは今この瞬間を生きているのだから、そういった先人たちのことを思うべきなのかもしれない。

ただ、この物語の主人公っぽい感じが強い長男スティーブンが最終的に子供を持つ選択をすること、それ自体に対しては家の悲劇とその再生産を恐れてパイプカットした過去を清算したということで理解はできるのだが、シスヘテロカップルが子供を産み育てる伝統的な家族を継承した形であり、それを結末に持ってきていることがなんとなくモヤる。まあヨリも戻ってめでたしであるし、私も将来子供を持つことはやぶさかではないけれど。このあたりに私のこだわりというか、反発するポイントがあるんだなと思った次第。

野生の誤読

いきなりブログタイトルを変更した。
PV業務中心になり、翻訳をメインに書くことが少なくなる可能性が出てくるため。

 

先日から書評におけるあらすじ紹介で、事実と異なることが書いてあるとか言った反論や議論が起こっている。

 

私はそもそも、しっかりとテキストを読み込むということを避けてきた人間であり、背景とか文脈であるとか、そういうことを正確に捉えるのがあまりうまくない人間であると思っている節がある。ディテールが好き、ぐーんと引いた遠景が好き、それでいいんじゃないかと思ったりもする。

でもそういう言い訳はあまり好もしくない。

全体を視野に入れつつ、折々ピントを絞ってみていくこと、精読すること、隠されたものを詳らかにすること、そういうこともそろそろ必要なんじゃないか。

 

好きなように読んでいい自由は読者にはある。

二次創作にひらかれた余白もそこにある。

それでも作者の意図したことは必ず存在する。そこから大きく離れたり、書いていないことを書いてあるかのように書くのはやはり誤読なのではないか。創作とその批評はちがうのだから。

誤訳も誤読の一種だと考えて、より大きなくくりでやっていくことにした。

PVと『ゴールデンカムイ』

間が空いた。Pharmacovigilanceのお仕事を始める。

在宅ワーク継続です。

 

7月末にモデルナのワクチン2回目を打った。

余裕~と思って全巻無料公開『ゴールデンカムイ』読んでいたら38.5度まで出て、結構苦しかった。

接種後8時間後くらいに発熱し、42時間後くらいに収まった。

接種翌日は必ずお休みにしてほしいと思う。

接種と摂取って時々打ち間違えてしまうので注意だな。

 

その後ずぶずぶと『ゴールデンカムイ』にはまってしまって帰ってこれない。

男と男の間のテンションが熱すぎるッ。感情闇鍋ウエスタン。

第七師団、っていうか鶴見篤四郎劇場を永遠に観ていたいです。愛。

unmet medical need:アンメット・メディカル・ニーズ

ダッシュして1本早いバスに間に合ったのはいいがむこうずねが痛い。

昨日坂を延々降りたせいだと思う。

最近のチェックで気になったのが unmet medical need。
きちんと日本語にしてくださって「未充足の医療ニーズ」と訳されていた。

満たされていない医療上のニーズを指すわけでまったく間違いではないが、このクライアントの案件でチェックしたものではほぼカタカナ。「アンメット・メディカル・ニーズ」。1カ所のみだったので、やむなくカナ書きに変更した。

こういう変更は悩ましい。出来るだけ横文字を使わず日本語にするというのは、カタカナ語の氾濫する現代ではよい心がけに思えるが、その分野でよく使われている言い回しを採用するのがベターかなと感じる。クライアントの好みや案件の雰囲気、読み手にも左右されると思うけれど。

 

「・」なかぐろ、こいつもけっこう曲者であるがまた今度。

rodents:げっ歯類 robust:頑健な

原文空目系(いま付けた呼び名)の誤訳はウフフとなって大好きなのだが、ウフフとなったあとにこれそのまま納品してたらえらいこっちゃとなるものも結構ある。

統計関連のセクションで突然でてきた「げっ歯類の」。

非臨床試験の記述でマウスやラットも登場しており文脈もそれほどには変ではないが、実際はrodentではなくrobust、「頑健な」。頑健性を持つ、頑健であるなど。

dとb、文字数の感じは似てるけどさ…疲れてたのね、モルダー。

統計学はまだまだ勉強中。頑張ります。

 

 

 

X-rays:X線

X-raysといえばX線のことだが「X腺」というタイポに出合った。

きっと腺がんなどの分野をよく訳されているのだと推察する。

腺とは体内において液体を分泌する器官のこと。腺は国字だそうだが、中国でも用いられるとのこと。知らなかった。

X-rayという単語をみると字面からXファイルを連想してしまう。数年前にはまって廃人のように朝から晩まで観続けたが、シーズン7まできて観るのをやめてしまった。モルダーとスカリーには恋愛関係になってほしくないのである。いやまあなってはいないのだけど。